え〜と、どこから…。(いろいろと思った事を書いてあるので、以下意味不明です)
08/11/23は(昨日ですが)都内にイラストレーター&漫画家さんのOKAMA氏の企画展があり赴く予定でしたが、先週突然伯父が亡くなって、通夜や告別式を執り行っていました。
通夜や告別式を始めから最後まで居たのはお祖父さんが亡くなった時が最後で、十数年ぶりになるのでしょうか?
うちの宗派は日蓮宗で、いわゆる「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えるやつです。
宗派が日蓮宗だからって、宗派に属している自分や家族が本来の意味なぞわかっている筈もなく『式』として参加しているんだろうなーと思ったり。
『式』としての参加にお題目やら何やらに意味があるのかとか思っていたのだが、故人と生者の別れというか、故人は意識がないんだから、生者が故人との別れというか諦めみないなものの『区切り』をつけるには丁度よいのかもしれない。とか思い、『区切り』をつける手順として必要なものなのかとか思っていたら、儀式としてなかなか興味深いものでした。(不謹慎でしょうが)
仏教の本質(大乗仏教の本質でいいのかな?)である「悟りを開いて仏陀になる」ってのがおろそかになっていないかーとか思っていたのだが、Wikipediaには日本文化のなかでの「成仏」との解説あり、それだと「死後に極楽あるいは天国といった安楽な世界に生まれ変わる」って事に変質をしているそうな。
我々一般の人々としては葬儀という儀式は「死者が極楽に行けますように」と仏様に祈ってたりするので、それもまた変な感じだなーと。(まぁこのあたりの思いも、先の『区切りの儀式』と思えば全然OKな訳で…)
(あぁ、調べていると日蓮宗の葬儀ってまた微妙に違うな…でも葬式仏教なんて項目もあるのか…日本は宗教に関しては寛容だなぁ。いや妙ちくりんな事を考えている自分も十分変だな)
自分は基本『死者より生者』な考え方なので、お婆様とかが心配でした。 もう、二人も息子を先に亡くしているんだし。
ただ、ここまで来たら、息子、娘の全員が亡くなるまで生き続けてくれんかなとか思ったりしたが…90を超える人に辛いよなそれも。
死んだ瞬間、意識はどこに行くのか。 とかも、凶報を頂いたときに思ったり。
科学的に行けば、脳内伝達物質の分泌が抑えられて意識が亡くなるんだろうけど、生体が異常を感じた時に伝達物質の異常分泌が起こって走馬灯って呼ばれる大脳皮質下の記憶の異常引き出し(これは緊急時における対処法の検索行為なんだろうか?)が起こっているのだろうか? 確認するには死ぬしかないから、難しいなー。
オカルト的には意識は肉体に縛られず、ゆっくり空間に拡散していかないかなーとか思ったり。ひょんな所で、自分の意識と交じって幽霊みたりとかな。
葬儀を行った葬儀社は仕事の通勤路にあって前を通るのだが、そこの人間がなんかいろいろいい事言ってても、『お前が言うな』と思って説得力ないので凹んだ。
お爺さまおよび伯父さんは日本人だったら殆ど知っている東証一部に上場している某大会社の躍進に大きく寄与していたので、今回は副社長がいらっしゃっていました。 さすがにお爺さまの時は社長でしたけど。 この点だけみると、うちの本家はスゲーなと思ったり。(いろいろダメ人間そろっててボロボロなのにねーw)
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